流行による作品評価の考察

世界の中心で愛をさけぶ」という小説が大ヒットして、映画になりーの、ドラマになりーのある意味で2004年を代表する文化作品となりました。先にことわっておきますが、私自身はこの小説を読んでなくて、これからも読む気は全く無いです。なのでこれから先の文章で「世界の中心で愛をさけぶ」についてやや批判的な事を書きますが、それは他の人のレビューなどを読んだ意見が大半である事を先に明記しておきます。なお、「世界の中心で愛をさけぶ」を批判する事はメインのテーマでは無い事も先に断っておきます。


なんというか大勢の人間が「世界の中心で愛をさけぶ」で感動し涙を流したらしいのですが、実のところ「世界の中心で愛を叫ぶ」はそこまでの作品ではないようです。というのも作品批評が専門(得意)であるような人には酷評されている割合が高いからです。酷評している人の主張としては、「構成が大した事無い」「使いまわされたシチェーション」「人間描写が大した事無い」などが主な理由として挙げられます。自分で読んでないのでおもむろに肯定も否定もできないのですが、酷評している人達のレビューには不思議と説得力が感じられるので恐らく当たっているかと思います。なお、この先その方向で話を進めていきたいと思います。


世界の中心で愛をさけぶ」は実際は大した事の無い小説と仮定した場合、何故そのような小説が大ヒットしたのでしょうか?恐らくある程度まで出版社の宣伝が異常に巧かったのだと睨んでいます。(ここは正直良く分からないところです。考察の余地があるところですが、本文の主旨と大きくかけ離れる事もあるので割愛します。)


世界の中心で愛をさけぶ」を極々初期に読んだ人は特に問題ないのですが、問題はこの小説がある程度売れ出して、人々の話題に上がり「泣ける小説」と認知し始められてからこの小説を読んだ人達です。つまり「流行している泣ける小説」として読んだ場合「流行している小説を読んで感動しないのは自分の感受性が低いからだ」という先入観がまずあり、本来は正確な批評する目をもっている人間でも、純粋(正当)な評価をしていない(できない)可能性があると思います。


個人的な経験としては、「バトルロワイヤル(映画)」「ピンポン(映画)」「少林サッカー」などは大して面白く感じられなかったのですが、周りの評価があまりににも高くて、自分の評価を求められた時には思わず「勿論面白かったよ」と言ってしまって、いつのまにか自分でもそう思いこもうとしてた事もあります。


もう一度「世界の中心で愛をさけぶ」に話を戻しますが、この小説が「泣ける小説」と強く一般に認知されているのは、「泣ける」という暗黙の了解が世間一般に強力に流布されているからではないでしょうか。またその逆もまた真なりで酷評している人間の大半が「泣ける」という暗黙の了解を否定する為に必要以上に酷評しているのではないかと思います。


流行しすぎたらまともな評価があたえられる事は難しいようです。


参照:Amazonカスタマーレビュー:世界の中心で、愛をさけぶ



※(私が過去運営していたサイトの過去ログより抜粋、一部、追記修正アリ)