枕草子について

私は枕草子が好きです。


正確には清少納言という人物に対して相当な尊敬の念を持っています。それは何故かというと、清少納言の感性が千年以上もの間、日本人という民族の感性に影響を与え続けたからです。


分かりやすい例を挙げると

秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。

という文で、かいつまんで説明すると『秋は夕暮れが美しい、夕焼けの中、鳥が山の方に1羽2羽と飛び立つ風情がいい、日が暮れてから聞こえる虫の鳴き声も素晴らしい』と言ってるのです。(※やや適当な訳なので専門的なツッコミは勘弁して下さい。)


これは現代の日本人の感性にもあてはまる事では無いでしょうか。あなたの心にも風景が浮かんでくるでしょう。なんと未だに日本人の感性は清少納言支配下にあるのです。千年以上もの間伝わり続けた感性…壮大すぎます。ここまできたら日本人の感性の土台は清少納言によって創られたと言っても過言では無いでしょう。いかに清少納言が優れた人物であったか、千年という月日が証明してくれます。


しかし、この才女も仕えていた中宮定子の死と共に没落していきます。それと前後して定子のライバルであった皇后彰子の台頭と共に彰子に仕えていた紫式部は執筆していた源氏物語の成功と共に栄華を誇ります。この後恐らくは安泰に暮らした紫式部に比べ、清少納言の晩期はひどく貧困で恵まれないものであったようです。


源氏物語は確かに素晴らしい文学作品です。しかしエッセイと物語という性質の違いを考えても千年以上もの間人々の心に残り続けた枕草子のほうが優劣をつけるなら優れているのではないでしょうか。栄華を誇った紫式部がそのライバル心から清少納言を非難した事もあり、清少納言の評価は一般的にその功績から考えると過小評価されているのでは、と思われます。


悲劇のヒロインといった性質をも兼ねている清少納言は未だ日本人で並び立つ者がいない文学者だったのかもしれません。